ネガティブ発信について考えること
誤解しないように気をつけてほしいのですが、この記事自体はネガティブ発信ではありません。
そういう発信をしないようにという戒めの意味も込めた記事です。
みんなが好きなことや楽しい!といったポジティブ発信ができたらめっちゃ良いよね(●´艸`)
と思って書いてみた記事です。(*`・ω・´)良かったら楽しんでいってね!
この間映画を観に行った時の話
イベントに参加しようと思ったのに、その主催者が当日その場所にいなかった話
給料が払われなかった話
人生続けていくと、色々と自分の都合ではなく相手が悪くて責めたくなる気持ちや、不当や理不尽や自分の好みではないことを責めたり嫌って発言したりしたくなるもんですよね。
私も聖人ではないので普通にそういうことを発信しそうになるんですが、なるべくしないように心がけています。
例えば一番最初に挙げた例で言うと、アレは結構悩みまして。
映画を見終わってからも「どう記事にしようか」「記事にすべきか」などなどを悶々と考えに考えて、夜の車通りが激しい道を一人でブツブツと喋りながら帰りました。
こうして文章に残す作業も自分の思考をまとめる術として活用していますが、独り言を喋るのも(周りの人に変な人だとバレないようにするのは大変ですが)個人的には結構考えがまとまって好きです。
そうして観た映画のこと・ブログのこといっぱい考えて、考えに考えて私は結局「記事にしない・残さない」と決めました。
と言うのも、ここまで書いたら察しの良い方は分かっていそうですが、私がその映画にどうしても良い印象を抱くことができなかったんですよね。
「でもせっかく映画を観たのだから、悪い印象を抱いたことも含めて記事にすべき」
「悪いことは言いたくないから、良いところや良かったところを探し集めて、そこだけを記事にしたら良いのでは?」
「そもそも何のためにブログを書いているのか、私が発信したいこととは何なのか」
とか、そこまで考えるかってとこまで考えて、映画を観ることや1日の終わりの方でお腹も空いてボロボロの状態の自分を、さらに追い詰めて考えるようなことではなかったことまで考えて出した結論は「記事にしない・残さない」なのですけど。
(確実にその時にする・しなきゃいけなかったことではなかったのですが、やってたのは私がアホでドMだからです。真似しないでください)
嫌なことに目を瞑って、良いことに目を向けることって高等技術です。
10見たら9は基本的に嫌なことです。(言い過ぎかも。笑)
自分が嫌だと思った事柄について考えている時間って苦しいし避けて通りたいことですよね。
嫌な思いは、誰しもがしたくないですよね。
それを「コレはこう嫌な思いをしたからヤダ!!」って発信するのは簡単ですが、それを見た人のことを考えると、私は軽率にネガティブ発信はできないなと思います。
短絡的に考えたら、その行動自体は自身のストレス発散になって良いのかもしれませんが、結局それはネガティブ発信なことには変わりないのです。
それを見た人がどう思うかは簡単に想像することができます。
良い感情や気持ちにはほぼならないでしょう。
そうなることが分かっている発信を、わざわざする意味が一体どこにあるんでしょうか。
そうした発信をする必要がある場面は、明確になんとかしてあげたいと思えるほどの相手がいて、その相手にちゃんと届くように発信するのは良いことだと思うんですよ。
上記の例を引っ張ると、私が発信をやめた大きな理由は
「読み手に、その映画関係者や確実に映画を製作した側の人たちに届く見込みがない」
と判断したからです。
その当時は今よりも弱小ブログです。アクセス数もめちゃくちゃ少なかったです。(今でもそこまで多くないけど)
その数少ない私のブログを訪ねてくれる人たちに、嫌な思いをしてほしくなかったんです。
私が仮にその映画の関係者に届くような発信ができていたとしたら、したかはまた分からない話ですが、シナリオから色々と疑念というか嫌だなって思うことはあったので、その映画のガッツリ製作に関わるような摩訶不思議な展開にならない限り発信はしません。
嫌いなものは嫌いなままでいいのです。
無理に自分を騙して好きになる必要はないし、好きな面を無理に見る(探す)必要もないのです。
だからといって嫌いだと高らかに宣言するのは、それを良かった・好きといった感想を抱いた人たちのことは敵に回さなきゃいけない発言であること
を十分に理解していたら争う必要はないのです。
自分が嫌いだと言わなければいいだけ。
好きなものは好きだと宣言します。応援したいので、全力で名前も出すし画像などいっぱい貼って好きという気持ちを表します。
それを嫌いなものにまでやるのは、意味わからないですよね(・8・)
嫌いなものにそこまで時間をかける必要はないのです。
「コレは嫌いだな、自分には合わないな」
そう思ったら(気付いたら)そのものとは距離を置いて近づかなければいいのです。単純!
嫌いなものの分析ってめちゃくちゃします、私。
なんで嫌いなのか、どこが嫌いで何に心が乱されているのか
それは自分を知ることです。(好きなものに対してもやりますけどね(´∀`*))
そこから改善策や対策を練っていけるのは、嫌いなものを分析する力だと思います。
自分の行動や自分の周りに対して直したいと考えるので、分析しまくって原因を見つけようとするんですよね。例えば↓
⭐︎ストレス⭐︎
頭痛くて嫌だな
→なんで痛いんだろう?
→昨日の夜早く寝て、こんなに遅く起きたからだ。(寝過ぎた、という事実の発見)
→また頭痛くなるのは嫌だから、明日は寝過ぎないように気をつけよう
小さな違和感や不快感の原因がどこからきているのか、それをどうしたら取り除くことができるのか
それは最初の段階でストレスに自分でちゃんとに気づくことから始まります。
「○が嫌だな」
ということに、気付く。気付いて、そのことを無視するのではなく見つめてあげることで、次にどう対策を打って行動をすればいいのかが分かります。
こう考えると、嫌なこともストレスもより良い毎日を送るために、自分が出している大切な信号なんだなって思いますね⁽⁽◝( 'ω’ )◜⁾⁾
↑私が目指すのは、晴れの日はこうして何も考えずに昼寝するような呑気な生活を送ること。
日が差す縁側でもいいね、畳で寝たい。
ちなみにブログだからこうしていっぱいネガティブを分析して残すという作業してますが、Twitterは仕様が違うので許してくださいね(´・ω・`;)
一応残ってますが、アレは私の独り言の側面が割と強いので「あーー○がヤダ」みたいな無益ツイートもしてますけど……
基本的にここまで分析して発言しているわけではないので、さらっと流してください。🐠
なんだかあんまりコレといったオチがないんですけど、言いたいことはまとまったと思うので終わります。
要するに、好きなことや楽しいことだけ発信していきましょうね\(^O^)/ということ。
読んでくださってありがとうございました!
またね🌙
03.20.21:28
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません